芸能
『夫婦善哉』やその他多数の作品を世に出した織田作之助をこよなく愛する会それが
オダサク倶楽部
作家・織田作之助といえば、法善寺横町・『夫婦善哉』を連想する人は多いはず。若い世代にとってはひと昔前、というイメージが強いかもしれない。織田作之助は大正二(一九一三)年大阪市南区生玉前町(現天王寺区)に生まれ、大阪を舞台にした代表作に「夫婦善哉」、「世相」「可能性の文学」がある。しかし「オダサクの魅力は、三十三年間の生涯に凝縮された若々しい行動力と、文学にとどまらないマルチなエンターテイメント性なんです」と話すのはオダサク倶楽部仕掛人で高校教諭でもある井村身恒さん。二十年ほど前に越してきた自宅の近くにオダサク長屋跡の食堂があったのが活動のきっかけと語る。

第2回 おおさかシネマフェスティバル
OSAKA CINEMA FESTIVAL 20072007年3月16日(金)〜18日(日)
そごう心斎橋本店14階「そごう劇場」
オダサク倶楽部は、
3月16日(金)の織田作之助没後60年記念
織田作之助原作特集に参加します。
くわしくはこちら
「上方芸能」第160号より
オダサク倶楽部はその名前のとおり「オダサクを『ダシ』にしていろいろな大阪の味を創造する」団体だ。これまでにも文学はもとより、音楽・食・映画などさまざまなイベントを開催してきた。シンポジウムからフィールドワークまでその形式も幅広く、縦横無尽に大阪の街を捉える。メンバーは元放送局員やクリエイターをはじめ、主婦など約六十名が参加する。「オダサクはとにかく大阪の街を歩くのを好みました。散歩するに足る街・大阪のまちづくりを考えるきっかけになれば」と語る。大きなイベントとしては二〇〇一年の第一回オダサク映画祭。「織田作之助が唯一脚本を手がけた映画『還って来た男』や、代表作『わが町』を上演しました。その中に描きだされた、戦災で焼ける前の上本町や天王寺、ミナミ界隈などの大阪の下町風景には八〇〇人以上のお客さんが魅了されました。ビジュアル的にイメージを伝えることができる映画に、オダサクは表現の可能性を感じていたと思います」と井村さん。二〇〇三年には「第二回オダサク映画祭」を開催。三日間にわたるイベントは映画・落語・講談・乙女文楽・トークライブなど盛りだくさんで、オダサク文学を生み出した土壌(上方芸能・話芸)との関係にまで広がりをみせる内容になった。しかし、ただノスタルジーにひたるだけの活動ではない。「大阪という街は蓄積された伝統的な文化だけでなく、常にそこに新しい何かを付け足そうとします。それはとても工夫に富んだオープンな文化性です」と井村さん。海と貿易に支えられてきた流動的な文化をもつ大阪の良さをもっと打ち出し、オダサクが提唱した「大阪ルネッサンス」を引き継ぐ。大阪はクラシックとモダンを同時に持ち、また何にも寄らず同時に何にでもな得る可能性の都市といえるのかもしれない。変わらないことが魅力の京都とは一味違う。織田作之助という早世の作家の、青春とロマンあふれる視点からとらえられた文化都市・大阪がもうすぐ甦る。